2014年 04月 16日
日本一わかりやす鍼灸のお話 その2 |
ついに、出合いました!
「日本一わかりやすい鍼灸のお話」の本に。
以下、その内容をつづってみますので最後までお付き合いください。
≪3部構成≫になっています。本章はその2。
目からウロコですよ。
≪現代における鍼灸を考えてみる≫
現代日本は高度に医療が進み、私の暮らすこんな九州の田舎でも病院はあふれている。
誰もが、最高の現代医学の治療を享受できる環境にある。
にもかかわらずである。
前述したように、極めて原始的な文字もなかった旧石器時代行われていた方法と基本的に
あまり変わらない。鍼灸治療を今も人々は求め、私の所へ来院されるのである。
前記したように、原始の時代、満天の星空の下、たき火を囲んで行われたであろう鍼灸
が基本はそのままに現代に生き続けている。否、より求められている。
この現象を、我々は真剣に考える必要がある。
鍼は東アジア、灸は中央アジアが発祥らしい、と学校で教わったが、私は中近東、
アフリカ、ヨーロッパだって全世界あらゆる民族において行われていたんじゃないかと
思っている。
欧米で盛んなのも、もしかしたら欧米人のDNAが懐かしがっているのかもしれない、
と思いたいくらいだ。
現に、ヨーロッパでは、近代医学が生まれるつい200年前までずっと針で血を出して
治療する瀉血が治療の主流であり、現代医学からほど遠いとても単純な考え方だったと
いう。
それにしても、科学が発達した現代社会における現代医学の中にあって、埋没する事なく
治療効果を発揮し続ける鍼灸が、太古から厳として存在し続け、現在も棲みわけが成立
している。理由は、鍼灸は誰がやっても簡単にある一定の効果を発揮するからである。
私は、今でも来院された患者さんから医師に見放された難病を自分の家でお灸をすえて
克服した武勇伝?をよく聞かされる。それで、治療法を尋ねると、ただ悪い所へお灸を
すえ続けただけである。唯々、シンプルな方法と、考え方で、鍼灸を行えば良いのだ。
人体はホメオスタシス(恒常性保持機能)という制御力を持った、いわば36.5℃の
発熱バランス装置である。
哲学的に表現すれば、本来生命とは、生きよう、生きよう、よりよく生きようと
志向し続けるエネルギーだ。
ただ、人間の場合調子が良いと想像以上にタフで、同時に調子が狂うと想像以上に
デリケートに出来ている。
つまり、とても長生きするが、あちこちすぐに具合が悪くなる。ここのところが、
前記した自然界において、人間は実にひ弱で、モデルとしても進化の途上であるが故の、
歪みのあらわれなのだろう。
それゆえ鍼灸を生み出し、タフでデリケートな分、単純な刺激でもって多少の具合の悪さ
はすぐにリセットされる。
とにかく、人間に備わる自然治癒力に素直に従えば、基本となる生命力が有る限り、
ほとんどの場合、いい結果が生まれる。
現代医学が難しいからといって、鍼灸まで難しく考える必要はない。
鍼灸の治療をすればするほどそう思えてしまう。
じゃあ、ベテランの鍼灸師と素人の差は何なのかと問われれば、まあ、あえて言えば、
場数を踏む事から生まれる経験と感性の差だろうか。
唯、ひとつだけ重要と思うことがある。
医師は医療に対してオールマイティなので当然鍼灸ができる。
段々、鍼灸をやる医師が増えてきた。
でも、医師はあんまマッサージの経験が乏しい。
よって、様々な症状を訴える人体の体表の変化に対し、指頭感覚を磨くチャンスを逸して
いるのではないだろうか。
何度も述べたように、鍼灸は誰がやっても一定の効果が出せるのは事実である。
そこから先は、この指頭感覚という感性がものをいう。
そういえば、近頃の患者さんは昔と違って生活環境の向上によりお公家さん化し、
よりデリケートになってきたと先輩鍼灸師がぼやいていた。
よりデリケートな感性が今後求められるだろう。
ということは、男性と比べ、患者さんに対し繊細で威圧感のない女性鍼灸師は有利
だろう。
小学生の時、近所の発掘現場で拾った精巧に作られた矢じりを手に取った時、
大昔の先祖はとても繊細なんだと感動したことがある。
単純にして繊細な治療を古代人も意外と、していたのかもしれない。
私のように、繊細なる感性の境地に疎い人は「過ぎたるは及ばざるが如し」とある如く、
ひかえめ、ひかえめにやれば良い。
古典以前に還れ!「国境なき鍼灸術」 元田英明著 より
本格的 鍼灸治療 津屋崎千軒鍼灸院
by ts-shinkyuin
| 2014-04-16 18:11